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Unityでインディゲーム道!

プログラム、Unity初心者がインディゲーム制作を目指して日々思うことなどを書き綴ります。

けものフレンズと動物化するポストモダン < 本章 > ~"かばんちゃん"のカバンの中身とは~

さて最終回から早くも一ヶ月以上経ちましたが、けものフレンズの熱は冷めることなく、ますます強くなっているようにも思います。いよいよ、本章と題して、いかにけものフレンズは、動物化するポストモダンの文脈で語り難いか?ということに切り込みつつ、そしてけものフレンズとは何なのか?ということについて自分の考えをまとめたいと思います。(原稿用紙およそ15枚分!)

※かなりの文量ですが、要はすごーい!!ということです。 

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 序章を書いたのも、もう三ヶ月前・・・ 

 

 

なぜ一ヶ月以上もかかったか?

まずは個人的な忙しさもあります。しかし、それだけでなく『けものフレンズ』という存在が予想以上にデカイものになってしまい、かつ自分の頭の中を巡る、いろいろな考えを上手くまとめることが難しい状況になっていました。

こういう状況になると、良くも悪くもバイアスがかかって、冷静な判断や論評は難しくなりますよね。でも、やります!!

 

この一ヶ月であったことは、Mステ出演だったり、ダーウィン再放送、BDが近年稀に見るヒット、などなど。いろいろありましたねー。

放送期間中はともかく、放送終了後あっという間に忘れ去られるアニメも多い中、現状を省みるにやはり本物と言わざるを得ないでしょう。

 

こんな状況も含めて、何か書くとなるとかなりのテキストになるだろうし、なかなか書き出せない状況ではありました。あとそもそも動物化するポストモダン』も読まないといけないですし。これがきつかったかもしれません。

 

というか、そもそも本ブログはアニメ評論ブログじゃないですけどね^^;

しかし、書きました。長いですが、お時間あれば暇つぶしにでも!

 

なお本記事は『動物化するポストモダン』読破し、その上で執筆に望んでいますが、曲がりなりにも現代思想の本ですんで、読解力が及ばず解釈が違っている場合もあるかと思います。その点、ご了承ください。

 

東浩紀は間違ってもないし、正しくもない。

まず動物化するポストモダンをもって、けものフレンズを語るということは、実際かなり無理があった。ということを白状しなければいけません。

ダレが悪いと言うわけではなく、時代が違いすぎており、当時と今のアニメを巡る状況もあまりにも違うということが大きいと思います。

 

この本は2000年代初頭のモノであり、よりオタクが日陰者扱いであり、この本で扱われるアニメ、ゲームなどもコアよりなものが多いです。自分も名前は聞いたことあるぐらいの作品が多くあります。(ノベルゲーとか全然やってこなかった人間なので・・・。)

そして、忌み嫌われるオタクたちのその生態は、実はポストモダンにおける人間そのものである!として、別にオタクを肯定するわけでもなく、現代思想とアニメ、ゲーム を絡めることで、ポストモダンを考察しよう!というのが本書の狙い。

 

しかし、アニメに限って言っても本書以降ハルヒけいおん、等のより大衆的なアニメ作品が多く作られ、そして君の名は。という大ヒット作品があり、偏見あろうともアニメはより大衆的な存在となり、サブカルたりえなくなっており、オタクというものもよりライトなものになった、という歴史的経緯は押さえなければなりません。

だから、この本に書かれていることは基本過去についてのことであり、この本から逸脱したことが起きても、それが正しいとか間違っているとかではないのです。

 

この本の及ばないことが起きている。

それはそうなんですよ。15年以上前の本ですし。

さて、この本において重要な言葉、概念は『シミュークル』です。要は全てはコピーであり、あらゆるものは記号化されると。世にあるものが複製品に過ぎず、ただ反復されている、というような趣旨です。そして集積された記号(データ)を使いまわし、ただひたすらに餌を与えられた動物のように消費していく・・・というのがポストモダンに生きる人々の行動規範であり、それはオタクそのものじゃないか!!ということです。

当時も今も、ネットは二次創作で溢れており、それらは記号の再利用に他なりません。

 

でもフレンズは記号じゃないんだよ!

正確に言うと、動物をモデルにデフォルメしながらも、動物らしさを出来る限り残しているフレンズたちは記号としては不完全であり、実は消費的行為に不向きである、ということです。これは、アニメキャラは記号の集合体、という文脈からは少しずれているのです。実際、記号化されていないと二次創作は困難になります。

同一視することが難しくなるからです。

要するにそのキャラを見ても『ダレ?』と思ってしまいます。

近年の萌えアニメの文脈からは、明らかに逸脱した異端児であると言えます。

というか萌えアニメじゃないんですけどね、そもそも。 

 


 また二次創作で言えば、この本の中ではゲームのデータを吸い出して、ビジュアル的にはオリジナルと同質な二次創作、MADについての言及があります。

パソコンゲームだと特別なツールを使うことで、ゲームのデータを吸い出すことが出来るようで、それら(画像や音楽)をつかって二次創作すれば、一見本物と見分けがつかないわけです。だって、オリジナルのデータですからね。

 

けものフレンズでいえば、アニメなので本データを利用することは出来ません。

しかし、ニコニコなどでの二次創作を見るにそれを超える状況になっているということに気づいている人も多いと思います。それはファンが自らの手で、オリジナルに迫るクオリティのものを自作し、特に3Dモデルに関しては、表面的な美麗さにおいてはオリジナルを超えるものが出てきています。

そうした高いクオリティの素材を利用して、二次創作が行われているのです。

コピーがオリジナルに勝てないとは限らない、とはよく言ったものですが、よくよく考えるとすごい状況になっています。

こうした傾向は、けものフレンズに限らないですが、そうした時代の流れが端的に出ているのだと思います。

 

オリジナルとファンアートがある意味対等というか、なんというか。

 

  

けものフレンズは、この本の"外"にある。

少し長くなりましたが、要はけものフレンズけものフレンズとして楽しめばいいわけで、難しい本読んでわかった気になる必要なんてないんです。 

 

この本とけものフレンズとの対峙から今の私達が得られるものは、

『書を捨て、旅に出よう!』ということなのかもしれません。

見も蓋もない結論になってしまいましたが、けものフレンズは間違いなく、時代の節目を象徴する作品だと思います。

だから過去の論評はあてにならず自分で判断するしかない、ということです。

 

何がよかったのか?についての個人的見解

本題に入る前に、なぜけものフレンズがヒットしたかについての自分なりの見解を少しまとめておきたいです。

いろいろな要素、社会状況が重なり合ってこのようなことになったのは間違いないわけで、できる限りひとつずつ区切って見ていきたいと思います。

 

・子供も安心して見れる。

おっさん達を中心に評価された、ということですが、子供達と一緒に見たというようなことが結構あるみたいで、ここら辺は大きいと思います。

というか歴史的にも幼児向けアニメに一緒に見ている大人へのメッセージが込められていることは多くありましたからね。その系譜をけものフレンズも引き継いでいると。

 

・安易なパロディがない

パロディという表現形式がダメなわけではありません。

しかしドラマにしろアニメにしろ、パロディが氾濫しています。

なぜなら面白いし、楽だからです。("楽"と言うのは語弊があって、もちろんセンスが問われるのですが。)

二次創作ならまだしも、一次創作ですらです。

実写ドラマにおいてはクドカンが多用しはじめた起源ともいえますが、クドカンそもそもトリッキーな存在であり、それが今や本流になってますからね。

難しいところですが、純粋な創作物が見たい、と考えてる人は少なくなかったのでは?と思います。けものフレンズもオマージュは結構ありますけどもね。

 

・王道を往く展開

見た方々には説明不要だと思いますが、けものフレンズとは冒険物語であり、成長物語であり、王道なんですよね。王道はシンプルだけど難しい。

けものフレンズは王道をやりきりましたよね。

 

・受け止め方の自由度

と同時に、どう受け取ってもいいように作られているな、と思います。

クソアニメ、あるいは幼児向けアニメ、IQ低下アニメ、冒険アニメ、考察アニメ。

その感想は多種多様。

どう受け止めるかは個人の自由であり、その余地を残してある、良い意味で余白のあるアニメなんだと思います。

 

・シンプルで強いメッセージ

そんなけものフレンズが持つテーマ、あるいはメッセージも非常にシンプルで、自分の受け取ったものは、、、

生まれてきた意味がわからなくても前に進め!

というものです。人それぞれだと思いますが、自分はこう受け止めましたね。

バンちゃんとサーバルちゃんの黄金コンビは、現代人の持っていない、そして必要なものを持っています。素直さ、純粋さであったり、好奇心、探究心であったり。

 

このアニメは出発で始まり、出発で終わりました。

人は冒険するべきなのである、ということなのかなと。

 

 

まだまだあるかと思いますが、こんな感じになりますね。 

 

"かばんちゃん"はなぜ"かばんちゃん"なのか?

さて、本質的な話をそろそろしていきましょうか。

サーバルがそう名付けたからだよ!

といってしまえばそれで終わりですが、この問いにこそがかばんちゃんというキャラクターの本質が隠されているのではないかと思います。

なぜなら"かばんちゃん"の外見でまず目立つのは、物語のキーともなる帽子なわけで、けれども"かばんちゃん""ボウシちゃん"ではなく"かばんちゃん"でなくてはならなかったからです。

サーバルは、後ろから追いかけてたからかばんが気になっていたから、ということもいうことも出来るかもしれないし、たぶん帽子はミライさんのもの、だからということもあるかもしれませんが。それは置いておいて。

 

なぜ"かばんちゃん"は"かばんちゃん"なのか。

それは、かばんちゃん『背負いし者』だからです。

  

かばんちゃんの"かばん" の中身

謎はなおも多く残されていますが、かばんちゃんはヒトのフレンズということでひとまずは帰着しました。(目撃者がアライさんなんで怪しくはありますが。)

記憶喪失ではなく、そもそも記憶がない、ということです。

漠然としたヒトとしての属性を持って生まれてきた空っぽな存在です。

碇シンジのようにウジウジすることはなかったですが、セルリアンにやられる前に『どうして生まれてきたかもわからない~』という言葉がありました。

ヒトとして、なにも持ってきていない状態で生まれてきたのが、かばんちゃんです。

ということは、おそらくかばんの中身は、何も入っていません。

劇中でかばんの中身について、触れられることはありませんでした。おそらく、そこにテーマがあるから触れなかった、と考えるのは深読みしすぎでしょうか?

何も入っていないとなると、かばんは無意味なものか?と言えば違います。

かばんの中身はなくとも、かばんちゃんは『背負って』います。

それは、人間の叡智と業だと考えられます。

 

二期があるとして、ここらへんは掘り下げられると思いますね。

人間の愚かさを知ったとき、かばんちゃんは・・・!!みたいな。

 

後、野生開放についての妄想として、

「僕の本当の能力は!『具現化』し、『取り出す』こと・・・ッ!!」 

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!

なんての考えてみたり。

 

アンパンマンけものフレンズ(閑談)

小休止に少し横道に逸れます。

萌えアニメ風に見せかけて、コアな裏のある幼児向けアニメ風であることは、速いうちから指摘されていました。国民的幼児アニメと言えば、アンパンマンとある事情で、著者はアンパンマンをちゃんと見る機会がたびたびあったのですが、けものフレンズ以降だと考えさせられることが多くあることに気づきました。

 

アンパンマンはおもしろい。

アラサー以下の人間は間違いなく、アンパンマンを見て育っています。自分も必死で見てましたね。しかし、自分がそうであったように多くの子供達はアンパンマンを見なくなります。そして、バカにするようになりさえします。

 

・なんで見なくなる?

自分の頃だとまぁドラゴンボールがありましたからね。やっぱ少年達はそっちに走りますよ。女の子はセーラームーンとか。小学校高学年にもなるとほぼ見ることはなくなっていたと思います。

 

けものフレンズを通して

けものフレンズはIQを下げるんじゃない、子供の頃に戻すんだ!というブログ記事がありました。自分はこう言い変えたいと思います。大人になって歪んだ認知バイアスを子供の頃に戻すアニメと。けものフレンズというバイアス正常化アニメを見た後、アンパンマンを見て、確かにそうだと確信し、そして、なんで子供の頃にあんなにアンパンマンに夢中だったのかを 思い出せた気がします。

 

アンパンマンの持つテーマ

バイキンマンって冷静に考えたら、かなりえげつない事やってますよね。アンパンマンもすぐ負けますよね。でも、悪(ばい菌や細菌)がなくなることはありえないし、むしろあることで、自然界はバランスを保っています。どちらかと言うと自然災害や悪いことを擬人化した存在なのかもしれません。正義も弱いし、時として負けるけどなくなることもありません。そういう善と悪がせめぎあうことで、この世界、社会は成立しているんだ、というのがアンパンマンのテーマです。

これは、やなせ先生自身の解説ですからね!!

子供達はこれを本能的に感じ取っている、とのこと。さすが!

 

"セカイ"から"世界"へ

自己完結型の"セカイ"は閉じた世界であり、主人公の精神世界の反映です。その反対に"世界"は"世界"であり、未知であり、外に広がるものです。けものフレンズが描いたものは、現時点では間違いなく後者であるし、テーマとしても"セカイ"を捨てて、"世界"に飛び出して行く、ということだと思います。

 

けものフレンズは、冒険の話でまだまだ広がる未知の世界に飛び出そうということであり、最初は庇護される存在であったカバンちゃんが、自立し、そしてサーバルちゃんと相棒という対等な立場となり、また改めて旅立つ、という終わり方はこの上なく、希望に満ち溢れるものであると同時に、現代人が今最も必要なものが示されているような気さえします。

 

セカイ系といえば、エヴァですが、エヴァにおいて出された問いについての答えは、全てけものフレンで出されてしまったのでは?と思います。エヴァガンダムと比較されましたが、まさしくけものフレンズもそんな立ち位置になるような気がします。

 

マドマギも比較されましたが、セカイからの脱却は出来ずに、まどかとほむほむの閉じたセカイで終わってしまっていますからね。

 

思えば、碇シンジのような自己問答をかばんちゃんにさせることも出来たんですよね。

実際、描写されていないだけで、かばんちゃんはシンジ君並に悩んでいたのかもしれません。しかし、かばんちゃんにはサーバルちゃんがいて、かばんちゃん本人も、ウジウジ悩まずに、ただひたすらに前へと歩むことを止めなかったわけです。

 

答えは、こんなにもシンプルだったんだと感動しました。

世界にはまだまだ見たことない所がいっぱいだから、飛び出そう!と。

 

最後に

ここまで読みきった方は多くないでしょうが、長々とお付き合いいただきありがとうございました。

本ブログはUnityでインディゲームを作ろうという趣旨のもとで活動してますが、そんな中でけものフレンズと出会い、筆を取らせていただきました。

けものフレンズにちなんだゲーム作れたら面白いんですけど、既にアップされているモノを見ると、とても自分が入っていけないなと思い、とりあえずスキルを上げねば!という感じです。

けものフレンズは、まさに始まったコンテンツであり、これからどうなるのかが楽しみですね。

 

今、思うのは記憶を消してまた最初から見たいということですね。

それでは、ご清聴ありがとうございました!

 

 [ 感謝 ] 本ブログを開設して、半年が経ちました!! [ 御礼! ]

少し遅れましたが、はてなから通知が来ていたので。 

なんと!本ブログが始まって半年が経ちました!! 

ありがとうございます!

自身の飽きっぽさを考えると、これだけでも驚異的ですし、まだまだやる気も書きたいネタもあるので、継続していきたいと思います。

個人的メモというか、主に学びの記録として始めたわけですが、想像以上に多くの方に読んでいただいているようで、鑑賞に堪えうるブログとしての体裁を試行錯誤しながら、整えていくというのも、いろいろ勉強になりました。

ここらへんも随時改善していきたいですね。

 

今後の展開について

引き続きUnityに関すること等を書いていくつもりですが、そろそろ作品らしい作品も、ここで発表していけたらなと思います。

当然、簡単なミニゲームになると思いますがね。どんな形であっても、ドンドン出していけたらなーと。ブラウザ用にビルドできますしね。

あと本ブログ用にYoutubeのチャンネルを開設はしているんですよね。やっぱ文章だけでは限界があると思うし、Unityでやってる事、実験などを動画にして、必要あれば解説文をここで書いて・・・みたいなことを出来たら面白いのかなぁ、と考え中です。

なにわともあれ、思いついたことをドンドンやっていけたらなぁ、と思います。

 

ただ、しばらくの間、生活がバタバタするので、週一更新は難しくなるかもしれません。しかし直ぐに体制を整えて、Unityと本ブログどちらも楽しくやっていこうと思うので、今後もよろしくお願いします!!

 

"ゲームプログラマのためのコーディング技術"を読んで。やはりいい本はC++を採用してる問題も合わせて。

ひとまず通読したので、その感想を。自分のような一皮向けようとしている初心者にとっては非常にわかりやすく、レイアウトなども含め、いい本だと思いました。特に"クラス"については、いかにクラス設計すべきかの指針を具体的に書いており、そもそもクラスは何のために必要か?という部分も学ぶことが出来る本かと。オブジェクト指向の把握のしにくさは、このブログでも何度か書いてますが、そこらへんがキッチリ説明されている本です。 

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題名に反し、普遍的な内容

ゲームプログラマのための、と題されてますが、むしろ普遍的な、基本的な技術を中心とした内容になっており、実践的なプログラミング力(ちから)を付けるのには、最適な一冊だと思います。Amazonのレビューは割と厳しめですが。

この本で身につけられるものは、大きく分けて次の三つです。

 

  • 簡潔で読み易いコードを書く。
  • クラスを上手く使う方法。
  • デザインパターンの使い方。

 

具体的なゲームを動かすコードをどのように書くべきか、という内容ではなく、それらを上手く書くための基礎的な部分を説明しているのが本書の特徴だと思います。

コーディング技術ですからね、そこにだけ注意です。

サンプルコードはC++で書かれている点を許容できれば、Unityを使う上でも非常にためになる知識が多く載っていると思うのですが、どうでしょうか。

 


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Unityで覚える遊びのアルゴリズム

Unity関連の書籍としては、この本が有名ですが、これもプログラミングを主体にした本です。しかし、これはある程度プログラミングできる前提で、コードの書き方自体ではなく、あるルールのゲームを実現するには、どういうコードを組めばいいか?という内容になっています。つまりはゲームプログラマのための~』の対極にある本です。これについての書評もそのうち書きたいと思います。本記事の本と合わせて読むのがいいのかもしれませんね。


 

本としてのクオリティ

個人的な意見としてプログラミングについての本、特に和書は抽象的な説明のみになってしまっており、つかみどころのない文章になってしまっている場合が多いと思います。その結果、頭ではわかっても体ではわからない、という状態になってしまいます。まぁプログラミングは自分で書いて覚えていくものでしょうが。

 

Amazonの批判的なレビューに「今更な内容。この時期にあえて出す意味わからん」というようなものがありますが、そうは思いませんね。基礎的な内容を求めているヒトは自分を含めてたくさんいますし、何より基礎的なことをあえて今書かない理由の方が見つからないと思います。そう反論したいくらいには買ってよかったなと思います。要は"書き方"の問題であり、どう書かれているか?ということです。

 

例えば、プログラミングに関する名著に『リーダブルコード』があります。この本も、どう書くべきかの指針となるような本で、確かに名著だと思いますし、C#でのコードは一切出てこないのですが、かなり勉強になります。

この本も、『別に新しくもなんともないじゃん。』というレビューがあったそうです。

でも、この本は別に内容だけで評価されているのではなくて、その書き方によるところも大きいと思うのです。とにかくすごい読みやすいですし、読み物としてのクオリティが高いんです。読み通すこと自体は直ぐできますが、書いてあることを実際に出来るようになるには時間がかかりますし、何度も読み返すことになります。

何度も読み返すのが楽しいこと、が大事なんだと思います。

少し話がズレましたが、要はこの本もそういうクオリティを持っている自分は考えています。テキストとしてのクオリティが高いです。

 

いい本に限ってC++

これはもうそういう定めなんでしょうね。

以前紹介した『プログラマーの考え方が身につく本』もC++で書かれていますが、これも非常にためになる本です。C++は何でもできるし、使えるプログラマは本物だから、ということで採用したとのことですが、本著でもそういうことなんでしょう。

UnrealはまさしくC++がメインなので、Unity使い達にとっては羨ましい限りです。というかC++勉強すれば良いじゃん!って言われそうですが。

しかし、読めるコードも多いので、Unity使いであって、なんとか読むべきかなと。

C#じゃないんだ・・・、じゃあいいかな。というのではもったいない!

C#で書かれたこのようなクオリティの本が欲しいところです。

 

まとめ

2015発ということで、新しい書籍に属すると思いますし、著者の方も実際にコンシューマ開発に携わっておられたようなので、昨今のコーディング技術を実践的に学ぶにはやはり良い一冊です。さらに精読をしていきたいと思います!!

 

ではまた!

 

"Yooka - Laylee" (ヨーカとライリー)の初見感想について!![ Made With Unity ]

いよいよ発売された"Yooka - Laylee"について!

6, 7時間ほどプレイした上での感想、レビューを書きます。ゲームデザインとしては、良くも悪くも昔ながらの3Dアクションゲーム。テンポに多少の問題ありかも?特に経験豊富なゲーマー(つまり子供の頃にバンカズやったような)にとっては、たぶん最初の三時間は少しかったるい。しかし、アクションの幅が広がってくると、俄然おもしろくなってくるぞ!というのが、筆者のファーストインプレッション。まだまだこれからという感じですが、楽しく遊んでます!

Unityエンジン製のアクションゲームとしては文句なし!! 

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注意!!

本ブログの性質上、純粋なゲーマーとしてのレビューとはなりませんし、一部評論家気取りな意見もあるかもですが、ご了承ください。

 

あとSTEAM版は日本語非対応です!!

 

オールドスクールな出来栄え

本作は、バンジョーとカズーイ精神的後継作として、キックスタートでの資金集めからスタートし、インディ制作によって生まれた作品です。

要は90年代のゲームのテイストを多く含みます。それが良くも悪くもはっきりと出ているような気がします。そういう意味で、オールド・スクールな作品かと。

懐古主義までには行ってないけど、かといって尖った新しさもない、みたいな。 

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木村カエラっぽい女科学者の変身銃でトランスフォーム!

メイン・エリアとなる敵の本拠地のタワーを探索しつつ、設置、あるいは隠されている魔法の本から各ワールド(オープンワールド仕様)に飛び、自由に探索して、散らばっている黄金の羽(アクションを買える)そして、目的物となるペイジーを集めていきます。ペイジーによって、入り口となる魔法の本(TOME デカイ本という意)はアンロックされ、さらにペイジーを消費することでエリア拡張されます。

なので、同じワールドでも、手に入れたアクションあるいは拡張によって、探検の範囲が広がる、というゲームデザインになっています。 一度クリアしたワールドでも、しばらくした後で来ると、意外な発見がある!というアレです。

 

・現代的なグラで、あの頃のゲームを。

グラフィックですが、いいですよ。かわいらしい、あるいはキモカワなキャラ達が、CGアニメなワールドに生き生きと動いています。やっぱグラ大事!

・自由に駆け巡れる。

ただし、最初は出来るアクションが少ないので、熟練のゲーマーは多少イライラするでしょう。しかしゲームが進めば、自由に駆け巡れます。

・ただし、"世界"に放り出される。

オープンワールドというものは、その性質上、何をすればいいのか、どこに行けばいいのか?ということがわからなくなりがちですが、昨今のゲームはプレイヤーをガイドするサポート機能が多くあります。

しかし、Yooka Layleeには基本的にそういうものはなく、キャラクターとの会話を元に、ワールド内を探索して、かなり自発的に考えて行動しないとダメです。そういう意味ではやりがいはあるゲームだと思いますし、少し不親切とも言う事ができるかもしれません。あるムーヴ(能力)が必要な場面で、「ここは後で来たほうがいいかも」みたいなものはないということです。

 

テンポの問題(ゲーム全体の)

アクションゲームとしてのテンポは一切の問題はないと思います。

しかし、キャラ同士のコミカルな会話(字幕)を主体に、寸劇が多く挟まれてくるので、とにかく飛び回りたい!という人にとって、それらは邪魔な要素かもしれません。でもそれはゲームデザイン上、コミカルなキャラがコミカルなやり取りをするっていうのは、不可避ですからね。それいっちゃお終いよ。という部分ではあります。ライリーの毒舌とか笑えるんですけどね。これもある意味、昔ながらのゲーム。 

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各地にいるキャラクターとの交流も冒険のひとつ。

イベント戦がクイズ問題

これは個人的な好みからくる不満ではあるかもしれません。

えー、とにかく自分はボス戦でのミニゲームが嫌いです。しりとりとか本当に苦手でしたし、旗揚げとかも嫌いです。神経衰弱も。殴らせろ、と。

 

ボス戦ではないですが、第2エリアに移るのに、ボスの右腕的存在である、アヒルの科学者によるクイズ実質8問解かなければいけません。つまり早々にあるわけです。

ここのデザインに関しては、明らかなミス、というか自分が嫌なだけなんですが、めんどくせー!という感じでした。まぁ2,3回挑戦してクリアして進みましたよ。これ以降は、できるアクションが増えてきますし、面白さが加速度的に上がっていきます。

 

尻上がりなおもしろさ?

このゲームは、そんな感じがします。上に書きましたが、最初の三時間はチュートリアル的な部分も含まれているわけですが、まぁわりとこんなもんかな、という感じではあります。説明らしい説明もそれほどないので、慣れも必要です。しかし、進むごとに、大ジャンプ、あるいは滑空飛行などをドンドン覚えていきますので、そこらへんから面白くなってきています。ドンキーなどではおなじみの氷のステージが2ステージ目ですからね。音楽、雰囲気を含めて、ここら辺でグッと来た感じです。 

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トロッコゲームは各ワールドにあるようです。

Made With Unityとして

繰り返しますが、文句のつけようがないです。Unityであるということも意識することはありませんね。基本的によっぽどの高性能で、画期的なエンジンでもなければ、普通のプレイヤーが遊んでいて、エンジンを意識するということはないでしょう。Unityは汎用エンジンなので、もし意識するとしたら、それはネガティヴなものなはずです。

そういうの一切ないですね、マジで。

やはり、Unityでアクションゲームを作る!という人たちにとっては今後の1つの指標になるのでは?という気がします。というか自分はします。

とにかく更にゲームを進めたいと思います。 

  

ひとまず初感としては、こんな感じで。

 

 

For文の"For"って何だろう?という疑問。ある3つの言語を巡る小旅行。

 

何回繰り返しますか?

- How many times should I repeat for? -

 

そもそも論な話題です。同じような処理を何回も繰り返すのが得意なコンピュータにとって、プログラム上なくてはならないのがForループ文。でもこの"For"って何だろう?とずっと疑問に思ってました。で最近それを説明してくれているブログを見つけました!つまりは"A for loop statement repeats for a certain number of times."のforでした。原文のブログはこちら↓

英語なんでざっくりとした理解です、マイクロソフトの中の人のブログ。

while文はwhile(~の間、)なんでそのまんまではありますよね。

for文はfor a long time.とかのforであることはまぁなんとなくわかってはいましたが、やっと腑に落ちたと言うか、歴史的背景を知れましたね。多くの人にとってはあまり興味ない話かもしれませんが、ずっと気になっていたのでよかったです。

細かいところが気になるのが、僕の悪い癖!

 

上記ブログの要約

50年代後半に誕生した3つの言語FORTLAN, COBOL, ALGOLにはそれぞれループ機能文があり、ALGOLという言語においてはfor文が生み出された。それはその後の回数指定繰り返し文の座を確立した、ということです。

 

FORTLAN, COBOLはさすがに自分でも知っていましたが、ALGOLという言語は知りませんでした。ALGOrithmetic Languageからきており、アメリカとヨーロッパの科学者により作られた言語で、この中で現在のfor文の原型が生み出されました。ALGOLは知名度に関して他の2つの言語に比べたらそれほどではないけども、for文に限らずその後の全ての言語に決定的な影響を与えたようですね。

やっぱ何であれ歴史を知るというのは面白いなーと。現在へのいい意味でも悪い意味でも、影響というか因果関係が見えてくるので。

 

UnityはC#を使ってプログラミングしていますが、やっぱ楽なんですよね。まだまだ未熟ですけど。C言語とか軽く勉強しましたが、実際にCでプログラミングとか考えたくもないです。なぜC#が楽かと言えば、いろいろな積み重ねの結果であり、過去の反省点から改善されてきたからなんですよね。そういう意味では過去の偉人達への感謝とリスペクトは忘れずにいたいですね。

 

あとオブジェクト指向というものは、古い言語での問題点を解消するために生み出された考え方でもあるので、いきなりクラスについて教わるよりも、プログラミングの歴史的な経緯から学んだ方がその恩恵だったり、活用法が理解しやすいのでは?とも思いますね。最初は自分もクラスが何のためにあるか、よくわからないまま説明を読んでいたので。これはあまり良くないことだと思います。(あると便利だから"クラス"存在するのであり、なぜ便利なのか?という話です。)

 

歴史を学ぶということ

プログラミングだったり、コンピュータの歴史はここ60年ぐらいで異常なスピードで発展したものなんで、調べるとやはりかなり面白そうなんですよね。ただそれはそれでドツボに嵌ってしまいそうなので、ほどほどにしないといけないと思いますが。しかし、プログラミング言語は決して血の通っていないものなんかではなく、人の手によって作られてきたものなんだ、ということであり、それで作るもの、アプリ、ゲームにしろ、やはり人間味があるものを作っていくべきなんだろうと思います。

という作文チックな締めとさせていただきます。お後がよろしいようで。

 

 

"ゲームエンジン・アーキテクチャ"のサンプルを読んだ!![書籍レビュー]

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現代のゲーム制作を理解する上で、非常に重要な本のサンプル版を読みました。

Kindle1章を丸ごと無料で読むことが出来ます。分かり易く、興味深い内容が満載!!そしてUnityを使う上でも役立つ、ゲームエンジンとはいかなるものか?という根本的な部分を学べる一冊ではないかと思います! 

※画像は出版社 SBクリエイティヴから引用。

 

タイトルの通り、kindleでの"サンプル"です。しかしサンプルと言えども相当な量があり、無料分を読むだけでもかなり勉強になります。いずれ購入して、腰を据えて読んでみたいと思いますが、 とりあえず1章を読んでみて思ったことを書いてみます。

 

そもそもゲームエンジンとは?

ゲームエンジンといえば、本ブログで扱うUnityのことでもありますが、世にはゲームエンジンと呼ばれる物が多くあります。有名なのはUE4ことアンリアルエンジンやHalf-life 2で使われ、物理演算によって3Dゲームに新しい風を起こしたSourceエンジン。(ポータルもこのエンジンを使って作られましたね。)quakeエンジンなどなど。日本だとメタルギアソリッドで使われたFOXエンジンも。まだまだありますが、とにかく現代においては様々なものが存在し、いくつかにおいては外部に提供されて、それを用いて個人や様々な会社がゲームを制作しているというような状況です。 ではそもそもゲームエンジンとはどういうものなのか?という疑問が出てきます。

 

この本はまさしく2000年代以降のゲーム制作に欠かせないゲームエンジンそのものの全体像を明らかにしようという本なのです! 書いた人は現代のトップゲームスタジオのひとつであるノーティードックに所属する、ジェイソン・グレゴリーという大ベテランの方であり、その時点でこの本のクオリティは間違いないものだろうと感じますよね。Last Of Usはまさにこの人の手によって創られたのですから。

 

そもそもゲームエンジンとは現代の高度化し、複雑化したゲーム制作を効率よく進めるためのツールです。様々なものがあるにせよ、その基本的な機能や構成には多くの共通点が見受けられます。なのでこの本で説明される内容は当然Unityにも当てはまる部分があるわけです。

どういう風な構成要素を持ち、どういう機能があるのか詳しく説明していて、しかもすごいわかりやすい!もちろん専門的な内容ではあるので、完全に理解するのは難しいでしょうが、しかし読むのが楽しい本なので苦にはなりません。多分ゲーム制作をしていない人でも読めるような文章です。Unityは具体的にどういうことをしてくれているのか?なぜ手軽にゲームを作れるのか?ということを知るうえで欠かせない知識が書かれているわけです。Unityは我々にどんなものを提供してくれているのか?ということです。

 

Unityはそもそも簡単なのか?

Unityゲームエンジンの中でも使いやすいし、個人の場合を無料で使うことができるし、気軽にゲーム制作ができるよ!という部分を前面に押し出してはいますが、現実にはその機能は多岐にわたり、その全体を把握するのに筆者含め多くの方が、日々格闘なされているかと思います。 どういう機能があってどういうことができるのか、どういう使い方をすれば良いのか?ということについては、公式によるマニュアルがあります。しかし日本語訳の問題もあるのかもしれませんが、まぁなかなか頭に入ってこないわけです。なんとなくでも使える部分はあります。しかしツールの正しい理解は必須なわけです。

 

ですからこの本読むことで、現代のゲーム制作、そしてその基盤となるゲームエンジンへの根本的理解を深めることが、よりよくUnityを使うことが出来るようになるための鍵なのかもしれません。

とにかく分厚い本なので、読むのは大変でしょうが、少なくとも1章を見た限りでは、ものすごくわかり易いんですよね。筆者ももちろん翻訳の方の尽力が文章から伝わってきます。できれば近いうちに購入して、手元においておきたい一冊ですね。

 

ゲーム制作とは総合的アートである。

本の中で、ヴィデオゲームは"マルチメディアアプリケーション"と記述されます。文学、グラフィック、映像、音楽、プログラミング、インタラクティブ性等と様々な技術(アート)の結晶なんですよね。複雑であり、巨大な創作物なわけです。もちろん小規模なものもあって、自分含めたインディは小さくとも気の利いたものを作る、という目標があります。規模が小さいから簡単、というものではないと思います。そう考えると、ゲームというものはまだまだ将来性のあるものなのかもしれませんね。この本は、まさしく道標となるような一冊だと思います。

  

ゲームエンジン・アーキテクチャ 第2版

ゲームエンジン・アーキテクチャ 第2版

 

 

 

"けものフレンズ"最終回にむけて。かばんちゃんよ、神話になれ!

 さて、いよいよけものフレンズ最終回を迎えようとしています。

11話はIQの下がるアニメとは何だったのか?というくらいに、いろいろと情報量が多い回であり、視聴者達はいろんな意味で打ちのめされたのではないでしょうか?20分じゃ足りなかったですね、1時間スペシャルでもよかった、そんな内容の濃い回だったと思います。

 

自分はニコニコで試聴しているので、ネタばれはかなり気をつけなければ!という感じです。 地上波は水曜深夜ということなので、まあネットを見ないようにするのが一番ですかね。で生放送ページに直接アクセスできるようにブックマークしました。

というのも11話は、ネタばれをネットで見てしまったので。やはりどういう結末になるにせよ、フラットな気持ちで見たいですからね。

 

 

けもの化するポストモダン

さて以前に 

という記事を書いてみたわけですが、東先生による動物化するポストモダンまだ読めてません!!半分までは読んだんですけど、本格的な現代思想に関するところがなかなかツライ・・・そして何よりページが進まないのは、

 

この本が書かれた当時と今の社会状況、アニメ、ゲームを取り巻く環境がかなり異なったものになっている、からです。

 

はっきりいって、今あえて読む意味あるのか?という問題です。

この本が書かれたのは2000年代初頭であり、もう15年近くたっているわけですから、それはもちろんそうなってもおかしくないわけです。

そもそも、この本を引き合いに出したのは、ただ単に"けもフレ現象"を表層的に知ったときに、すごーい!たーのしー!と騒ぐ人たちを見て、これって動物化じゃね?って思っただけですので。

動物化するポストモダン』自体の問題ではなく、今更あえて、とりあげる意味があるのか?と疑問を感じているのは事実です。(あと東先生の文章が・・・

この本についての批判は、ある程度知っています、主なものは東先生のIT技術への不理解とかですかね、まぁそこらへんはあまりけものフレンズとは関係ないんで無視していいと思うんですけど。

とにかく当時の状況からは、予測できない状況になっていますし、この本に書かれている論理では説明できないものが、たくさんあると思います。

 

 

間違いなく動物化はしているが。

ツイッター含め、ネットでの騒動を見るに人々の動物化は、どんどん進行しております。でも、それは現代社会への防衛機能であり、高度に発達しすぎた文明社会においては避けられないことだとは思います。そういう意味では、ポストモダン的な批評というのは依然として意味があるのでしょう。 

ただし、時代は変化するし、人も社会も変わります。

あえて今この本について言及し、けものフレンズと照らし合わせる意味があるとすれば、それはけものフレンズはこの本に書かれていないこと、説明できないことが起きている、ということではないでしょうか?

 

この本の中で、ポストモダンとは1970年代以降の社会を指すようですが、おそらくいよいよポストモダン以降の時代がやってくるようです。ですから、この本が"けものフレンズ"をカバーできないのは当然だと思います。

 

フラクタルを見て、『なぜ東浩紀けものフレンズを作れなかったのか?』なんて企画も考えましたけど、そういうのはねぇ・・・。

 

とにかく『けものフレンズ動物化するポストモダン』については、

最終回以降ですね、きちんとまとめたいと思います。

  

 

個人的な最終回予想

最後にせっかくなので、どんな最終回を迎えるかについて考えてみたいと思います。多少のおふざけを含みますので、ご容赦を。

 

・時間が飛んで、数年後のジャパリパークから始まる。

エヴァかよ! ブン投げ系最終回にはなって欲しくないですけどね。

・巨人化したかばんちゃんがセルリアンを!

進撃の巨人じゃあるまいし!

・全滅エンド、歴史は繰り返される。

富野アニメ的な激動の最終回。サンドスターにより蘇った、かばんとサーバルが再び出会いEND。これをやったらやったでスゴイですけども。 

・かばんちゃんの旅立ち。新たなる冒険へ!

無難といえば無難な予想ですが、問題はたどり着いたのが崩壊した東京っていうあれです。かばんちゃんは最後の人類だった!とかいうやつです。

崩壊後の日本をサーバルちゃんと旅する、とかで二期できるんじゃ・・・

 

・・・。

こんなのはどうでも良くて!ただただ心して待つだけですね。

 

はたして、けものフレンズは十年に一度のアニメとなるか!?

かばんちゃんよ!神話になれ!!