Unityでインディゲーム道!

プログラム、Unity初心者がインディゲーム制作を目指して日々思うことなどを書き綴ります。

けものフレンズと動物化するポストモダン < 本章 > ~"かばんちゃん"のカバンの中身とは~

さて最終回から早くも一ヶ月以上経ちましたが、けものフレンズの熱は冷めることなく、ますます強くなっているようにも思います。いよいよ本章と題して、いかにけものフレンズは、動物化するポストモダンの文脈で語り難いか?ということに切り込みつつ、そしてけものフレンズとは何なのか?ということについて自分の考えをまとめたいと思います。(原稿用紙およそ15枚分!)

※かなりの文量ですが、要はすごーい!!ということです。 

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 序章を書いたのも、もう三ヶ月前・・・ 

 

 

なぜ一ヶ月以上もかかったか?

まずは個人的な忙しさもあります。しかし、それだけでなく『けものフレンズ』という存在が予想以上にデカイものになってしまい、かつ自分の頭の中を巡る、いろいろな考えを上手くまとめることが難しい状況になっていました。

こういう状況になると、良くも悪くもバイアスがかかって、冷静な判断や論評は難しくなりますよね。でも、やります!!

 

この一ヶ月であったことは、Mステ出演だったり、ダーウィン再放送、BDが近年稀に見るヒット、などなど。いろいろありましたねー。

放送期間中はともかく、放送終了後あっという間に忘れ去られるアニメも多い中、現状を省みるにやはり本物と言わざるを得ないでしょう。

 

こんな状況も含めて、何か書くとなるとかなりのテキストになるだろうし、なかなか書き出せない状況ではありました。あとそもそも『動物化するポストモダン』も読まないといけないですし。これがきつかったかもしれません。

 

というか、そもそも本ブログはアニメ評論ブログじゃないですけどね^^;

しかし、書きました。長いですが、お時間あれば暇つぶしにでも!

 

なお本記事は『動物化するポストモダン』読破し、その上で執筆に望んでいますが、曲がりなりにも現代思想の本ですんで、読解力が及ばず解釈が違っている場合もあるかと思います。その点、ご了承ください。

 

東浩紀は間違ってもないし、正しくもない。

まず動物化するポストモダンをもって、けものフレンズを語るということは、実際かなり無理があった。ということを白状しなければいけません。

ダレが悪いと言うわけではなく、時代が違いすぎており、当時と今のアニメを巡る状況もあまりにも違うということが大きいと思います。

 

この本は2000年代初頭のモノであり、よりオタクが日陰者扱いであり、この本で扱われるアニメ、ゲームなどもコアよりなものが多いです。自分も名前は聞いたことあるぐらいの作品が多くあります。(ノベルゲーとか全然やってこなかった人間なので・・・。)

そして、忌み嫌われるオタクたちのその生態は、実はポストモダンにおける人間そのものである!として、別にオタクを肯定するわけでもなく、現代思想とアニメ、ゲーム を絡めることで、ポストモダンを考察しよう!というのが本書の狙い。

 

しかし、アニメに限って言っても本書以降ハルヒけいおん、等のより大衆的なアニメ作品が多く作られ、そして君の名は。という大ヒット作品があり、偏見あろうともアニメはより大衆的な存在となり、サブカルたりえなくなっており、オタクというものもよりライトなものになった、という歴史的経緯は押さえなければなりません。

だから、この本に書かれていることは基本過去についてのことであり、この本から逸脱したことが起きても、それが正しいとか間違っているとかではないのです。

 

この本の及ばないことが起きている。

それはそうなんですよ。15年以上前の本ですし。

さて、この本において重要な言葉、概念は『シミュークル』です。要は全てはコピーであり、あらゆるものは記号化されると。世にあるものが複製品に過ぎず、ただ反復されている、というような趣旨です。そして集積された記号(データ)を使いまわし、ただひたすらに餌を与えられた動物のように消費していく・・・というのがポストモダンに生きる人々の行動規範であり、それはオタクそのものじゃないか!!ということです。

当時も今も、ネットは二次創作で溢れており、それらは記号の再利用に他なりません。

 

でもフレンズは記号じゃないんだよ!

正確に言うと、動物をモデルにデフォルメしながらも、動物らしさを出来る限り残しているフレンズたちは記号としては不完全であり、実は消費的行為に不向きである、ということです。これは、アニメキャラは記号の集合体、という文脈からは少しずれているのです。実際、記号化されていないと二次創作は困難になります。

同一視することが難しくなるからです。

要するにそのキャラを見ても『ダレ?』と思ってしまいます。

近年の萌えアニメの文脈からは、明らかに逸脱した異端児であると言えます。

というか萌えアニメじゃないんですけどね、そもそも。 

 


 また二次創作で言えば、この本の中ではゲームのデータを吸い出して、ビジュアル的にはオリジナルと同質な二次創作、MADについての言及があります。

パソコンゲームだと特別なツールを使うことで、ゲームのデータを吸い出すことが出来るようで、それら(画像や音楽)をつかって二次創作すれば、一見本物と見分けがつかないわけです。だって、オリジナルのデータですからね。

 

けものフレンズでいえば、アニメなので本データを利用することは出来ません。

しかし、ニコニコなどでの二次創作を見るにそれを超える状況になっているということに気づいている人も多いと思います。それはファンが自らの手で、オリジナルに迫るクオリティのものを自作し、特に3Dモデルに関しては、表面的な美麗さにおいてはオリジナルを超えるものが出てきています。

そうした高いクオリティの素材を利用して、二次創作が行われているのです。

コピーがオリジナルに勝てないとは限らない、とはよく言ったものですが、よくよく考えるとすごい状況になっています。

こうした傾向は、けものフレンズに限らないですが、そうした時代の流れが端的に出ているのだと思います。

 

オリジナルとファンアートがある意味対等というか、なんというか。

 

  

けものフレンズは、この本の"外"にある。

少し長くなりましたが、要はけものフレンズけものフレンズとして楽しめばいいわけで、難しい本読んでわかった気になる必要なんてないんです。 

 

この本とけものフレンズとの対峙から今の私達が得られるものは、

『書を捨て、旅に出よう!』ということなのかもしれません。

見も蓋もない結論になってしまいましたが、けものフレンズは間違いなく、時代の節目を象徴する作品だと思います。

だから過去の論評はあてにならず自分で判断するしかない、ということです。

 

何がよかったのか?についての個人的見解

本題に入る前に、なぜけものフレンズがヒットしたかについての自分なりの見解を少しまとめておきたいです。

いろいろな要素、社会状況が重なり合ってこのようなことになったのは間違いないわけで、できる限りひとつずつ区切って見ていきたいと思います。

 

・子供も安心して見れる。

おっさん達を中心に評価された、ということですが、子供達と一緒に見たというようなことが結構あるみたいで、ここら辺は大きいと思います。

というか歴史的にも幼児向けアニメに一緒に見ている大人へのメッセージが込められていることは多くありましたからね。その系譜をけものフレンズも引き継いでいると。

 

・安易なパロディがない

パロディという表現形式がダメなわけではありません。

しかしドラマにしろアニメにしろ、パロディが氾濫しています。

なぜなら面白いし、楽だからです。("楽"と言うのは語弊があって、もちろんセンスが問われるのですが。)

二次創作ならまだしも、一次創作ですらです。

実写ドラマにおいてはクドカンが多用しはじめた起源ともいえますが、クドカンはそもそもトリッキーな存在であり、それが今や本流になってますからね。

難しいところですが、純粋な創作物が見たい、と考えてる人は少なくなかったのでは?と思います。けものフレンズもオマージュは結構ありますけどもね。

 

・王道を往く展開

見た方々には説明不要だと思いますが、けものフレンズとは冒険物語であり、成長物語であり、王道なんですよね。王道はシンプルだけど難しい。

けものフレンズは王道をやりきりましたよね。

 

・受け止め方の自由度

と同時に、どう受け取ってもいいように作られているな、と思います。

クソアニメ、あるいは幼児向けアニメ、IQ低下アニメ、冒険アニメ、考察アニメ。

その感想は多種多様。

どう受け止めるかは個人の自由であり、その余地を残してある、良い意味で余白のあるアニメなんだと思います。

 

・シンプルで強いメッセージ

そんなけものフレンズが持つテーマ、あるいはメッセージも非常にシンプルで、自分の受け取ったものは、、、

生まれてきた意味がわからなくても前に進め!

というものです。人それぞれだと思いますが、自分はこう受け止めましたね。

カバンちゃんとサーバルちゃんの黄金コンビは、現代人の持っていない、そして必要なものを持っています。素直さ、純粋さであったり、好奇心、探究心であったり。

 

このアニメは出発で始まり、出発で終わりました。

人は冒険するべきなのである、ということなのかなと。

 

 

まだまだあるかと思いますが、こんな感じになりますね。 

 

"かばんちゃん"はなぜ"かばんちゃん"なのか?

さて、本質的な話をそろそろしていきましょうか。

サーバルがそう名付けたからだよ!

といってしまえばそれで終わりですが、この問いにこそがかばんちゃんというキャラクターの本質が隠されているのではないかと思います。

なぜなら"かばんちゃん"の外見でまず目立つのは、物語のキーともなる帽子なわけで、けれども"かばんちゃん""ボウシちゃん"ではなく"かばんちゃん"でなくてはならなかったからです。

サーバルは、後ろから追いかけてたからかばんが気になっていたから、ということもいうことも出来るかもしれないし、たぶん帽子はミライさんのもの、だからということもあるかもしれませんが。それは置いておいて。

 

なぜ"かばんちゃん"は"かばんちゃん"なのか。

それは、かばんちゃん『背負いし者』だからです。

  

かばんちゃんの"かばん" の中身

謎はなおも多く残されていますが、かばんちゃんはヒトのフレンズということでひとまずは帰着しました。(目撃者がアライさんなんで怪しくはありますが。)

記憶喪失ではなく、そもそも記憶がない、ということです。

漠然としたヒトとしての属性を持って生まれてきた空っぽな存在です。

碇シンジのようにウジウジすることはなかったですが、セルリアンにやられる前に『どうして生まれてきたかもわからない~』という言葉がありました。

ヒトとして、なにも持ってきていない状態で生まれてきたのが、かばんちゃんです。

ということは、おそらくかばんの中身は、何も入っていません。

劇中でかばんの中身について、触れられることはありませんでした。おそらく、そこにテーマがあるから触れなかった、と考えるのは深読みしすぎでしょうか?

何も入っていないとなると、かばんは無意味なものか?と言えば違います。

かばんの中身はなくとも、かばんちゃんは『背負って』います。

それは、人間の叡智と業だと考えられます。

 

二期があるとして、ここらへんは掘り下げられると思いますね。

人間の愚かさを知ったとき、かばんちゃんは・・・!!みたいな。

 

後、野生開放についての妄想として、

「僕の本当の能力は!『具現化』し、『取り出す』こと・・・ッ!!」 

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!

なんての考えてみたり。

 

アンパンマンけものフレンズ(閑談)

小休止に少し横道に逸れます。

萌えアニメ風に見せかけて、コアな裏のある幼児向けアニメ風であることは、速いうちから指摘されていました。国民的幼児アニメと言えば、アンパンマンとある事情で、著者はアンパンマンをちゃんと見る機会がたびたびあったのですが、けものフレンズ以降だと考えさせられることが多くあることに気づきました。

 

アンパンマンはおもしろい。

アラサー以下の人間は間違いなく、アンパンマンを見て育っています。自分も必死で見てましたね。しかし、自分がそうであったように多くの子供達はアンパンマンを見なくなります。そして、バカにするようになりさえします。

 

・なんで見なくなる?

自分の頃だとまぁドラゴンボールがありましたからね。やっぱ少年達はそっちに走りますよ。女の子はセーラームーンとか。小学校高学年にもなるとほぼ見ることはなくなっていたと思います。

 

けものフレンズを通して

けものフレンズはIQを下げるんじゃない、子供の頃に戻すんだ!というブログ記事がありました。自分はこう言い変えたいと思います。大人になって歪んだ認知バイアスを子供の頃に戻すアニメと。けものフレンズというバイアス正常化アニメを見た後、アンパンマンを見て、確かにそうだと確信し、そして、なんで子供の頃にあんなにアンパンマンに夢中だったのかを 思い出せた気がします。

 

アンパンマンの持つテーマ

バイキンマンって冷静に考えたら、かなりえげつない事やってますよね。アンパンマンもすぐ負けますよね。でも、悪(ばい菌や細菌)がなくなることはありえないし、むしろあることで、自然界はバランスを保っています。どちらかと言うと自然災害や悪いことを擬人化した存在なのかもしれません。正義も弱いし、時として負けるけどなくなることもありません。そういう善と悪がせめぎあうことで、この世界、社会は成立しているんだ、というのがアンパンマンのテーマです。

これは、やなせ先生自身の解説ですからね!!

子供達はこれを本能的に感じ取っている、とのこと。さすが!

 

"セカイ"から"世界"へ

自己完結型の"セカイ"は閉じた世界であり、主人公の精神世界の反映です。その反対に"世界"は"世界"であり、未知であり、外に広がるものです。けものフレンズが描いたものは、現時点では間違いなく後者であるし、テーマとしても"セカイ"を捨てて、"世界"に飛び出して行く、ということだと思います。

 

けものフレンズは、冒険の話でまだまだ広がる未知の世界に飛び出そうということであり、最初は庇護される存在であったカバンちゃんが、自立し、そしてサーバルちゃんと相棒という対等な立場となり、また改めて旅立つ、という終わり方はこの上なく、希望に満ち溢れるものであると同時に、現代人が今最も必要なものが示されているような気さえします。

 

セカイ系といえばエヴァですが、新劇場版の制作は事実上停止してしまっています。しかしエヴァにおいて出された"問い"についての答えは、全てけものフレンズで出されてしまったのでは?と思います。エヴァガンダムと比較されましたが、まさしくけものフレンズもそんな立ち位置になるような気がします。

 

マドマギも比較されましたが、セカイからの脱却は出来ずに、まどかとほむほむの閉じたセカイで終わってしまっていますからね。

 

思えば、碇シンジのような自己問答をかばんちゃんにさせることも出来たんですよね。

実際、描写されていないだけで、かばんちゃんはシンジ君並に悩んでいたのかもしれません。しかし、かばんちゃんにはサーバルちゃんがいて、かばんちゃん本人も、ウジウジ悩まずに、ただひたすらに前へと歩むことを止めなかったわけです。

 

答えは、こんなにもシンプルだったんだと感動しました。

世界にはまだまだ見たことない所がいっぱいだから、飛び出そう!と。

 

最後に

ここまで読みきった方は多くないでしょうが、長々とお付き合いいただきありがとうございました。

本ブログはUnityでインディゲームを作ろうという趣旨のもとで活動してますが、そんな中でけものフレンズと出会い、筆を取らせていただきました。

けものフレンズにちなんだゲーム作れたら面白いんですけど、既にアップされているモノを見ると、とても自分が入っていけないなと思い、とりあえずスキルを上げねば!という感じです。

けものフレンズは、まさに始まったコンテンツであり、これからどうなるのかが楽しみですね。

 

今、思うのは記憶を消してまた最初から見たいということですね。

それでは、ご清聴ありがとうございました!